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新しいパソコン欲しい

インテルの第8世代CPUに関するこの記事を読んでいて、少し思うところがあった。

記事の冒頭をざっくり言うと、AMDのRyzenのおかげでインテルの尻に火がついて、やっと正統な革新モデルを発表した、ということが書いてある。

AMDが2017年にもたらした「Ryzen旋風」は、確実にCPU業界に健全な競争を取り戻すことに成功したようだ。今回のインテル最新作「Coffee Lake」は、そういう感想を抱かざるを得ないラインナップになっているんですよ。

約10年近く続いてきた、とある法則が。ようやく大きく変化することになったんだから。

性善説的に市場原理を信じれば、企業は技術革新に対して最大の努力を払う。

ところがそうでもない事例というのはいくらでもあって、価格の維持だとか、技術を市場に投入したくない戦略的理由だとか、それらしい理由もいくつもあるのだけど、単純に「そこまで頑張って仕事したくない」という身も蓋もない理由もけっこうあるのではないかと俺は思っている。

頑張って仕事をする理由も、夢をかなえたいとか、同僚に負けたくないとか、カネが欲しいとか、いくつもある。

イノベイターの動機といえば、アラン・ケイの「未来はただそこにあるのではない。未来は我々が決めるものであり、」的な純粋に個人的野心に基づいているというイメージがある。

しかも、パソコンのプロセッサー開発なんて最も市民的なムーアの法則を体現できる分野だから、日夜を削って日進月歩の開発競争がおこなわれているに違いない、なんて期待するけれど、意外とそうでもないのかもしれない。

 

自分の能力を革新して成長したいという欲求とは別に、現状を維持してひたすら守っていたいという保守的な欲求も人間にはある。

どちらも同じぐらい基本的な生存戦略に基づいているから、人間は単純じゃない。

いつの時代も、もっとも革新的なイノベイターが期待するほど世の中が変化しないのは、変化を拒否する人間の欲求もあるからだろう。

そりゃあ、現状でちゃんと問題なく生きていけているんだから、それ以上努力も変化もしたくないというのは人間として(というか動物として)当然のことにように思える。

でも本当にそんな生活をしていると「コンフォートゾーン」みたいな穴にはまって欝になったりする、っていう。

人間はそんな難しいものだけど、誰もが自由気ままに脅かされることなく楽しんで暮らせる世の中にしていきたいな、って思って仕事したりしてます。

 

ところで自分的にはこういう技術革新の記事を読むと上がってしまって、これとか「かっこいい。超欲しーい」みたいに思うのだけど、働いているわりには私の財布は薄いのでなかなか手は出せないのであった。

そもそも、別にゲームも動画もそんなにいじらないから、たぶんオーバースペックだしね。
(と思ってやり過ごすことにする)

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