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書きたいことがたくさんある。

あれも、これも、と思いつき、アイディアばかりが積もっていく。

 

仕事も、やりたいのにやれていないことがたくさんある。

平日の時間は、あまり使えない。

 

だから週末に書くしかないのだけれど、週末は家族の時間。

妻と娘といられる貴重な時間。

昨日までの連休は、俺の「実家」に帰った。

 

あまりに満たされた時間がそこにあると、「俺はそこにいったい何を付け加えようとしているのだろうか」と、疑問が湧いてくる。

もう、完成されているのに。

書くというのは、何かを変えたいとか、何かをつくりたいとか、何か”業”や”欲”のようなものがあって、書くのだ。

俺の父や母と、俺の娘が遊んでいるのを見ると、あまりにも完全で、怖いほどだ。

これ以上何かを望むなど、馬鹿げていると思えるほどに、あまりにすべてがそこにある。

何か欠点をあげるとすれば、それがとてもとても脆いということだけだ。

 

「もう一度」など望むべくもない時の流れの中で、「ただ一回」の瞬間がそこにあり、それが俺を落ち着かなくさせる。

心がかゆくなるのは、その美しい景色は決して、俺には所有もコントロールもできないからだ。

俺のものではないのに、俺のものではないから、すべてが俺に流れ込んできて、俺を満たし、あふれ出していく。

つかまえられないから、あふれていくから、あまりにも大きくて難しすぎるから、書くのかもしれない。

 

娘よ、あなたがこんなに小さいなんて、信じられるか。

私や妻がこんなに若いなんて、信じられるか。

父や母がこんなにもあなたを大好きだなんて、信じられるか。

あなたがいつか大きくなるなんて、父や母がかつては若かったなんて、信じられるか。

 

私には信じられない。

わからないことは、やっぱりわからないままなんだ。

ビューティフル・ガール。

あなたにいつか、わかるのだろうか。

 

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