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愛が二人を分かつという逆説

10曲目の「BYE×BYE」は、AdeleやAlicia Keysのようなゴージャスなビートに導かれるバラードナンバーだ。

描かれるのは、想いを残しながら背を向けて離れていく恋人達だ。

こぼれてゆく二人の想い

止まらないこの涙のように

二度と触れないほど遠い

君の背中を ただ見つめた

そこには、ちぎれるほどに痛々しい別れの場面が描かれる。

想いが冷めたわけではないのに、一緒にいたい気持ちが強くあるのに、別れていく。

これはいったいどういうわけだろうか。

 

パンクの落とし子、Joy Divisionの曲に「Love Will Tear Us Apart」という曲がある。

愛が消えたからではなく、愛しているのに、いやむしろ、愛しているからこそ別れていく場面が、人生にはある。

この逆説は、いったいどうして生まれるのだろうか。

それについて、これから語る。

 

BYE×BYE

だいたいどんなことでもそうだが、何かを一番よく理解したと思えるのは、その対象のことを「ちょっとだけ」知ったときだ。

知り始めてすぐ、やっと理解ができたぐらいのときに、一番わかった気になれる。

ポイントをつかんで、全体を大枠で把握して、勘で目利きができるようになる。

そこからさらによく知っていくと、今度はだいたい、よりわからなくなってくる。

一つを知ると、知らない事がまだ無数にあることに気づく。

そうして、生半可ではとても知り尽くすことはできないようだと思うようになる。

 

恋愛も同じだ。

「ある程度」知っている時が、相手の事を一番理解しているような気持ちになる。

恋愛は始まってすぐの時期が、たぶん一番簡単だ。

あとはただ、知れば知るほど未知の領域が増えていく、無限に広がるトンネルのような世界が待っている。

始めはただ楽しいばかりで浮かれていた恋人達も、このあたりで現実の複雑さに困惑し始める。

そこである疑問が胸の中に生まれるわけだ。

「この恋愛は、ほかの全てに優先し、ほかの全てを犠牲にしてでも守る価値があるのか?」と。

君が大切にしてたもの

僕が大切にしてたもの

僕らの愛が望む場所では

どちらかしか選べない

「愛」というのは「平等」の反対語だ。

エゴイストであることは悪いことではないし、そもそもエゴイストでなければ愛も生まれない。

「恋愛はエゴイズムの究極の形であるというのは本当だろうか」とは、ラディゲの一節だ。

しかし「自分の都合」と「相手の都合」を天秤にかけたときに、「自分の都合」を選ぶ場合、二人は別れるしかない。

相手のことを大切にしていればしているほど、自分が「自分の都合」を優先するだろうと知ってしまった以上、別れるよりほかにないのである。

なぜかといえば、愛しているから、軽々しく中途半端に扱えるような相手ではないからだ。

中途半端になるぐらいなら、やらないほうがマシ、なのである。

それほどまでに、相手のことを特別扱いしているし、大切にしたいとも思っている。

ただし、自分を捨てるほどではない。

もっと君を解れたのなら

もっと上手に愛せたかな

もっと幸せにできたかな

これはつまり、「もっと君を解ることはできたし、そうすればもっと上手に愛せたし、もっと幸せにできたはずだ」とも思っているのである。

ただし、同時に、自分にはそれができないこともわかっている。

それをしていたら、自分の「大切にしてたもの」が選べないからだ。

「ま、そんなもんだべ」と思って、自分の都合を優先しながら、相手のことはわからないなりにお気楽に放置して、快く無視して一緒にいられるなら、それでもよかったのだろう。

しかし、そのように中途半端でいるには、愛が深すぎた。

もっと愛していなければたぶん一緒にいられたのに、なまじ愛しているがゆえに、一緒にはいられない。

ここが、「愛が二人を分かつ」という逆説の源だ。

僕がそう決めたわけでもなく

君が言い出したわけでもなく

あきらめるように 自然と二人

別のほうへ歩き出す

こういうのはだいたい、「決断」ですらない。

状況と心境を整理してみると、進むべき方向がおのずと見えてしまうのだ。

心に問いかけてみれば、答えは初めからそこにあって、選択の余地すらありはしない。

前に見える道は一つで、問題は道を「進むか進まないか」、道に「従うか無視するか」、それぐらい。

そして「進まない」と「無視する」の選択は、緩慢で象徴的な自殺を意味する。

見えている道を進むしかないのだ。

二人が二人とも、自分の道が見えているから「BYE×BYE」だ。

悲しいね。

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色即是空、空即是色

アルバム最後の2曲(「キミノセカイヘ」と「Love Song」)は、「自分の都合」を選んだ自分の弱さに葛藤する曲だ。

「自分を捨てる強さ」というのも逆説的ではある。

たとえば宗教家なら容易に納得してくれそうなところではあるが、自分を捨てて初めて訪れる救いもある。

このあたりのことを上手く歌っている歌を俺は知っていたはずだが、今は忘れてしまったので書かない。

「自分らしさ」だとか「自己実現」だとか、「夢」とかにこだわるより、身をゆだねて奪い去られて連れ去られちまったほうがよっぽど賢い。

そんな気がする。

ただ、いくらか愚かだとわかった上で、心の示すところに従って自分の都合を選ばざるを得なかった境遇を、清水翔太は歌う。

現代社会では、こちらのほうがずっと共感を得るだろう。

俺も同じである。

自分をなかなか捨てられなくて、それでもしがみついて生きてみるしかなくて、もがいている。

自分を突き詰めた先に、空でもあれば幸いってところだ。

今はやるしかないが、同時にわき目もふる。

困ったことに、きっと、20代ってやつは、若いんだ。

 

※アルバム12曲目 「キミノセカイヘ」ソウルレビューはこちらから

12.「キミノセカイヘ」 – 『PROUD』 全曲ソウルレビュー –
アルバム 『PROUD』 魂の全曲レビュー。「キミノセカイヘ」は鼻歌のようにはずむメロディと、光を感じさせるオルガンに導かれる、祈りにも似た小曲。自分自身であろうとする力と、自分自身を壊し奪い去る力の間で葛藤する姿は、俺達の世代の代表。

 

※清水翔太 アルバム『PROUD』全曲ソウルレビューはこちらから

清水翔太 アルバム『PROUD』(2016) – ソウルレビュー –
2016年の傑作アルバム、清水翔太『PROUD』全曲レビュー 清水翔太が26~27歳の時につくったこのアルバムは、2010年代を生きる20代の心と風景を描いた傑作だと俺は思います。清水翔太自身にとっても、ポップミュージシャンと

 

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