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ライブのチケットが取れました

俺はチケット争奪戦とか、そういうのが苦手で。

今回、何かが上手くいったのか、よくわかっていないがとにかく「ぴあ」で清水翔太の9月10日 武道館ライブのチケットを取ることができた。

超絶インドア派の俺が、これまで自分でチケット取って見に行ったライブは、以下のとおり。

  1. Bruce Sporingsteen『Working On a Dreamツアー』@ニューヨーク Nassau Coliseum(2009年)
  2. 岡村靖幸 @Shibuya-AX(2011年)
  3. My Morning Jacket @Shibuya-AX(2012年)
  4. James Blake @新木場スタジオコースト(2013年)
  5. SALU & AKLO @Shibuya-AX(2013年)

以上5回。

特にブルース・スプリングスティーンのライブが見れたので、ひとまずこの人生に思い残すことはあまり無い。

人生6回目のライブは清水翔太@武道館になる予定である。

 

音楽というのは、一方でレコードにパッケージされて配布されるものではある。

しかし他方で、ある空間と時間に楽器を使って奏でられた空気の震えを共有するものでもある。

かつて俺が最も感動した音楽体験の一つといえば、父親の付き合いで行ったある集会で、南米の楽器のスペシャリストによって奏でられたボリビアの音楽を目の前で聞いた時だった。

俺はその演奏者のCDをすぐに購入して帰った。

けれど、その録音には、俺が現場で感じた感動の半分も収録されていなかった。

清水翔太の、「生」の音楽を聞いてみたいものだ。

それによって、これまでとは違う側面から、清水翔太の音楽を理解できるのではないかと思っている。

9月10日まで無事な生活を保つようにしよう。

 

そういうわけで、9月10日までに『White』のソウルレビューを書こうと思う。

そして清水翔太のライブを無事に見ることができた暁には、そのレビューも書きたいと思っている。

さてさて、どうなることやら。

 

前作『FLY』との連続性

前作『FLY』からちょうど一年の間を空けて発表された清水翔太の8thアルバム『White』。

その冒頭の「dance with me.」は、前作との連続性が濃厚な一曲だ。

あまりにも直接に前作とつながっているので、ダブルミーニングやメタファーを好む清水翔太のスタイルを考慮に入れると、そのまま受け取るのをためらうほどだ。

前作『FLY』の終盤、11曲目、「speechless」という曲があった。

その曲は、かつて傷つけた誰か、ずっと心に残っていた「その人」に再会する場面の歌だ。

その歌詞は以下のようなものだ。

君が笑った

もう会えないと思ってた

愛は姿を変えた

まるで今日の空のように

(中略)

あの頃の僕らなら

無邪気に、全部話せるかな

伝えたい一つの想いの前に

罪を背負うから 君が眩しい

そして今作『White』冒頭の「dance with me.」では、「その人」と再会し、ふたたび解り合える喜びが歌い上げられる。

その歌詞は以下のようなものだ。

最初から一輪の花だった

そう思うようにしてた

もう二度と会うことは

ないと思ってたから

 

こんなにも

憶えてるなんて

dance with me tonight

あの頃のように

 

本当の自分と出会う旅

君の目を見るとき

過ぎ去った痛みさえ

許せずにいたのに

 

こんなにも

解り合うなんて

dance with me tonight

あの頃のように

もう会えなくなってしまった誰かとの「別れ」や「あの頃」を歌うことが多かった清水翔太にして、「再会」と、その先の「解り合い」までもを歌うのは大きな変化だ。

「再会」と「再生」を前にして、今回のアルバムが幸福と華やぎに満ちたものになるのだろうか。

しかしそう単純ではない。

出会った頃の10代と、今再会した20代の間には、大きな変化がある。

 

『White』は清水翔太史上最高セクシーなアルバム

再会した「その人」に清水翔太は「dance with me tonight」と誘いかける。

「ダンス(踊る)」は今作『White』で頻出するワードであり、一貫してセクシーな意味で使われている。

このアルバムの後のほうの曲では、そのセクシーさにいろいろと複雑な感情がついてまわるけれど、ひとまずアルバム冒頭のこの「dance with me.」においては、シンプルに「今夜踊ろうぜ」と呼びかける。

 

俺たちの世代にとって永遠のアニキ=Usherの2009年のシングル「Love in This Club feat. Young Jeezy」を貼る。

 

細かいことは後の曲のところで書くけれど、俺に言わせると「恋愛」には2種類ある。

「恋(sexuality)」と「愛(love)」だ。

日本語でも英語でも、この2種類を「愛」とか「love」とか同じ名前で呼んでごちゃ混ぜにしてしまいがちで、それが混乱の原因になっている。

この違いに気付いている人の中でも、違いの定義についてはあいまいな人が多いと思う。

「愛はやっぱり相手のことを大切にして、careしてたら愛だよね」ぐらいの、曖昧な理解にとどまっている人が多いのではないだろうか。

俺に言わせれば定義は明確だ。

・「恋(sexuality)」=「短期」

・「愛(love)」=「長期」

これが定義になる。

 

そして、誤解を恐れずに言えば、関係は短期であればあるほどセクシーだ。

もちろん「愛のあるセックス」についての反論はあるだろう。

しかしそれは長期的関係の中でセックスに違う味付けをほどこし、また違った意匠を加えることで生み出される人間的な芸術作品だ。

ここで俺が「セクシー」と言っているのは、もっと原初的な、獣としてのセックスについてのことだ。

機会に対するリスクが高ければ高いほど、1つのセックスの生物学的価値は高まる。

リスクというのは、次の機会が約束されていなかったり、ライバルと機会を奪い合うような状態のことだ。

Usherの「Love in This Club」がセクシーなのは、「今夜、今すぐ、ただそれだけ」の誘いだからだ。

短期であればあるだけ、人間は一つの生物個体として、セクシーであらざるを得なくなる。

 

このアルバムで清水翔太は、リスクにさらされた恋愛について歌う。

その分だけ、このアルバムはセクシーになる。

 

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