広告

 

我是宇宙間的塵埃

「花火の輝きは短く儚いものである」と、花火が輝いているまさにその時に、花火自身がそのように考えるだろうか。

きっと考えないのではないかと、私は思う。

「あれはとても眩く儚い一瞬の輝きだった」と、今振り返ってそう思う一連の出来事が、その出来事を生きていたまさにその当時の私には、あまりそのようには見えていなかった。

 

16歳の夏、同級生の女の子を誘って、花火を見に河川敷に向かった。

今にして思うと、16歳という年齢は、若い。

私はその時、高校に入学して初めての夏に、浮かれていたと思う。

自分がどんなに愚かであるかとか、自分の本当の望みが何であるかとか、そういうことは考えていなかった。

そして、そういうことを考えずに、ただ愚かに無邪気にはしゃいでいられる、その年代がどんなに貴重なものかという事にも、もちろん気づいていなかった。

それどころか、あまつさえ、「自分がこの世でもっともものわかりがよく、道理に通じた人間だ」と、そのような思い上がりを抱く事すらあった。

うらやましい事だ。

あのような尊大な世界観を、私はもう二度と持つことはないだろう。

 

16歳の私は、そのように尊大にふんぞり返って世界を見下しながら、しかし同時に不安でたまらなかった。

女の子と二人で花火に行くのはもちろん、二人きりで出かけた経験すらほとんど無かったのだ。

慣れないながらに駅前で待ち合わせ、混み合ったコンビニで飲み物を買い、延々とつづく人波の背中について河川敷へ向かって歩いた。

前も後ろも怒涛とも言える人ごみに押し流されながら、それでいて隣の女の子にいいところも見せなければならないから、これはなかなか簡単な仕事ではなかった。

食べ物を河川敷の屋台で調達するという段取りだったが、しかし果たして河川敷についてからこの人ごみをかき分けて屋台で何かを買うことなどできるのだろうかと、それを思うと計画の破綻も見えてきて気が気ではなかった。

そして、それらすべてに対して、私は対処する方法を何一つ持っていなかった。

不安で余裕がないくせに体面だけは取り繕いたいから、何となく仏頂面で手持ち無沙汰なばかりだった。

女の子と二人で花火に行くというイベントも、思っていたほど良いものだというわけでもなさそうだなと、気づき始めていた。

 

ちょうどそんな時に、隣の女の子はこう言った。

「こういう時さ、行列の先頭はどうなってるんだろうって、考えるよね。」

そんなこと、私は考えたことがなかった。

それだけでなく、言っている意味がよくわからなかった。

「先頭? 先頭ってどういうこと?」

「いや、だからさ。どこかで行列が生まれてるんだから、先頭があるじゃん。でも先頭の人はただ普通に歩いてるだけだし、その人の前にも後ろにもきっと人はいるでしょ。じゃあ本当の先頭はその一つ前の人なのか、とか。そういうこと。」

「あ、まぁ、たしかに。」

ずいぶん妙な事を考えるものだと、私は思った。

そして、それ以上に、その女の子が自分よりもずいぶん落ち着いた様子なのに、若干ビビッていた。

「人というのはわからんものだな」という、そんな感じの感慨を私は抱いていたと思う。

人は自分と似た部分ももちろんあるが、ずいぶんと違う部分も持ち合わせている。

自分とはずいぶん違った環境で育った、違う人格を知り始めるということに、その頃の私は初めて順応し始めた時期だったと思う。

そういった経験の積み重ねの先に、私は少しずつ自分本位で尊大な世界観を崩していくことになる。

そんなことに必死だったから、この時の会話のことなど、ずいぶん長いこと忘れていた。

 

思い出したのは、26歳の時だ。

会社の付き合いで参加したセミナーで、「渋滞学」の講義を受けた。

そこで、以下のような内容の動画と共に、渋滞発生の解説を受けた。

 

そこで私は思い出し、そして理解した。

花火会場へ向かうあのような行列には、確かに「先頭」が無いのだろうということ。

そしてあの時、女の子が言っていたように、何かに並んでいるわけでもないあのような行列の、先頭がどうなっているのかは確かに神秘だと、26歳のその時になってようやく私は理解したわけである。

渋滞学の西成教授がおそらく原初の時点で抱いていたであろう疑問と同じ疑問を、あの時の女の子も持っていた。

そして、私は持っていなかった。

 

人は生きていると、いろいろと考えることがあって忙しいものだ。

現実に対処するための、実務的で取りとめもないことでいつも頭を働かせている。

しかし時がたってふり返ってみるような時、そのようなことはほとんど忘れてしまう。

後にまで残るのは、中でも強く輝いた、いくつかの光だけだ。

ふり返ってみた時、ほとんどすべての取りとめもないことが消えてしまった中から、それだけが記憶の中から浮かび上がってくる。

16歳の夏、私はたしかに眩しく、美しい生を生きていたなと、今になって思う。

当時の私は、頭の片隅くらいではそのようなことを考えていたかもしれないが、やはり実感としてはわかっていなかった。

自分が生きている生活の眩さなど。

 

さて、16歳の夏はたしかに短いものだったが、それからこれまでの日々も、やはり短かった。

16歳の夏、思いがけない会話をしながら河川敷に向かっていた私。

渋滞学の講義を聞いて初めてその会話の意味を理解した26歳の私。

そして今、それらを思い出しながらこうして言葉をしたためている30歳の私。

そのすべてが、全部まとめて一瞬のまたたきに過ぎないと、そうでないと誰に言えるだろうか。

きっと言えないと思う。

輝いている最中の花火が、自分は今短く儚い輝きの中にいるのだと、きっと考えはしないだろうから。

私も、私の全人格をかけたこの生涯を、美しいものにしようと丹精こめてじっくりと時間をかけて取り組んでいるけれど、それもきっと見る人から見たら、短く儚い一瞬の輝きなのだ。

 

 

広告