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エロスとタナトスの大転回

前作『PROUD』につづいてこのアルバムでも、清水翔太は2曲目にタイトルトラックを配置している。

そして前作と同じように、この2曲目がアルバムの本格的な開幕宣言のように響く。

ただいま

おかえり

ご主人様のお帰り

スタジアム映えしそうな壮大な音。
(個人的には、なぜか10年まえぐらいのU.K.ロックの音を思い出す。ColdplayとかKaiser Chiefsとかの時代。ベース音の使い方かな、と思っている)

そして歌詞とあいまって、感じさせるのは上昇の気運だ。

上昇、飛翔。

 

さて、「Sorry Not Sorry」の記事でエロスとタナトスの矛盾の話をしたが、この「FLY」には、その矛盾がわかりやすく表れている。

何を得ても物足りなくて

誰といてもまだ寂しくて

コーラスでくり返されるこの「渇き」こそがエロスだ。

世界を開拓し、まだ見ぬ何かを獲得していく欲求。

君だからすべてを見せるよ

曲を締めくくるこのラインの「疲れ」はタナトスだ。

どこかで安住したい、「すべて」を見せ、出し切った上で受け止められたいという、「終わり」への欲求。

この2つの欲求は、両立しないどころか、正反対の方向を向いている。

 

幸福

すこし話はそれるが、昨年のGQブログのこの記事を読んで、岡村靖幸の変わらない「渇き」を知った。

彼がいつも抱いていた「女性(というより女のコ)」への崇拝と、「純愛」への憧れ。

ある決定的な「君」との恋愛成就がすべてを覆す、というセンチメンタルな思い。

50歳を過ぎてもなお岡村靖幸がその憧れを捨てていないことを、GQブログの記事は指摘して涙する。

かつて同じ思いを抱いていた同士として、俺は岡村靖幸の思いが満たされない理由を指摘できると思う。

岡村靖幸がそんなにも探して見つからず、こんなにも苦しむのは、「探し方が間違っている」からだと。

「幸福」のジャケットアートにあるような家族的安らぎは、タナトスの先にあるものだ。

それを、女性崇拝や激しい純愛などのエロスの先に求めることが間違っている。

「子育て」と「濃密なセックス」は同じでないどころか、おそらく正反対のものだ。

そして、この180度の大転回に、男と女の苦しみの真髄が隠されている。

岡村靖幸はそれを1つの延長線上に探しているから、延々と苦闘しているような気がする。

(大転回と男と女の苦しみについては、今後の『FLY』アルバムソウルレビューでもっと詳しく語ることになる)

 

「FLY」のクールなロマンチシズム

「FLY」という曲にも、一見して矛盾がある。

「誰といても寂しくて物足りない」と思っているのなら、論理的必然として、「すべてを見せられる君」などこの世の中に存在しないことを認めるべきだ。

おそらく、「運命」や「純愛」のような、「特別な君」など、この世のどこにもいない。
(「本当にいないのか」「どうしたら出会えるのか」という問いについては、今後の記事にゆずる)

そして清水翔太はこの「FLY」という曲において、実はそれに気づいていると思う。

だから一見して矛盾に見えるけれど、この曲においてはそれはきっと矛盾ではない。

「FLY」の歌詞における「君」は、以前の清水翔太のラブソングの「君」とは違うからだ。

Fly…Fly…どこか遠く

そんなこと考えなくなった

どんなにボロボロになってもいい

ただ君と一緒に生きていたい

これは2014年のシングル「DREAM」の歌詞だ。

たとえばこう想定してみたらどうだろう。

「DREAM」という曲においては、「君」と一緒に生きていくために「fly」することをあきらめた。

しかし「FLY」という曲においては、「誰といてもまだ寂しい」と吐露し、「fly」へと帰ってくる。

おそらく、「君」をあきらめたのだ。

単純に言って、それは未熟さだ。

「少年が大人になる」(これも「DREAM」の歌詞)ことに失敗しているのは間違いない。

しかしそれは悪いことだろうか。

現実が自分の望むものと違ったとき、現実のほうにこちらから「願い下げ」を出すのは悪いことだろうか。

それはもちろん決して社会的に褒められた態度ではない。

しかし俺はそれを単純に責めることはできない。

なぜなら、現実の対処に上手くなることだけが自己実現だとは限らないからだ。

現実に嫌気がさした魂は、「どこか遠く」、想像力の世界へ羽ばたく。

キズツイタツバサヲヒロゲテ

I’m Alright

 

 アートの呼び声

じゃあこの歌における「君」とは誰だろう?、という話題で、この記事をおしまいにする。

単純に解釈するならば、「君」とはファンのことだろう。

しかしもう一段深いものを、俺はこの「FLY」の歌詞に見る。

俺はこの「FLY」という曲を聴くとき、あるWIREDの記事を思い出す。

正確に言うと、その記事の中に引用されていた詩の一節を思い出す。

その記事はロサンジェルスで開催された美容インフルーエンサーたちの祭典「ビューティコン」に関する記事で、18歳のYouTuberに会いに行く14歳の少女がフォーカスされていた。

そして、その14歳の少女が、18歳のYouTuberに向けて捧げた詩の一節を、俺は思い出すのだ。

人生は一変して、わたしは背を向ける

現実がつくり出した偽物の世界に

タナ、ありがとう。テイラー

いささか悲しいことではあるけれど、現実に背を向けて想像力の世界を選ぶことは、誰にもできることなのだ。

もしも清水翔太がその道に足を踏み入れるのなら、それはアーティストとして、さらに違うステージに昇ることになる。

 

もしも清水翔太がファンの期待をいつも気にかけ、ファンの期待に応えることだけを仕事にするのなら、彼はアーティストというよりはマーケターだ。

清水翔太はおそらく、この現実世界を首尾よく切り抜けるための処世術よりも、身を滅ぼす危険もある芸術の呼び声に耳をすますほうを選ぶだろう。

この歌における「君」とは誰だろう?という問いに対して、俺はそれはセイレーンだと思う、と答える。

音楽の呼び声と共に、イデアの世界へと飛び立つのだ。

岡村靖幸は結局のところ、欲しいものを見つけられないままに、なんだかんだで音楽をやっている。

清水翔太にしても、手に入れられなかった(あるいは自分で手放した)ものを無理やり追いかけるより、むしろ現実世界以外の場所に舞台を求める。

清水翔太のほうがいささかクールではあるが、いずれにせよアーティストとはそのように、現実世界で不可能なものを探すことを仕事とするのだよなと思う。
(その意味ではタナ・モンジョーのようなYouTuberもやはりアーティストなのだ)

 

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