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「Friday」のシングル発売に先駆けて、ビデオが先行公開された時、俺はその「空気感」に釘付けになった。

新宿や渋谷や湾岸など、東京の街を、清水翔太が浮遊するように歩いていく。

そこには、俺も何度も通り抜けてきた、東京の夜の「あの空気」があった。

「”あの空気”ってなんだよ! もっと説明しろよ!」と言われても、なにせ、空気だから、なかなかできない。

 

それを表現したくて、小説を書いた。

清水翔太の「Friday」をインスピレーションに、小説を書いた。

↑読んでみてください。(全8話です)

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俺たちは自分を殺したい

「Friday」のサビでは、「今夜は何も気にしないぜ」という宣言と、「オーオーオー」というコーラスが響きあう。

そのコーラスは、金曜日の夜の、あの雑踏を、思い起こさせる。

どこに踏み込んでも人だらけで、ばか騒ぎがくり広げられている街を、思い起こさせる。

Friday, Friday
I don’t care about anything tonight, tonight
Friday, Friday
I don’t care about anything tonight
Look out, ooh ooh ooh ooh ooh ooh ooh
I don’t care about anything, anything
Ooh ooh ooh ooh ooh ooh ooh
I don’t care about anything, anything

俺たちは金曜日の夜、街へ出る。

何かを狩りに行くかのように、街へ出る。

そして、何かを消毒して殺菌したいかのように、酒をあおる。

何に出会いたいのだろう。

どこへ行きたいのだろう。

 

俺が思うに、俺たちは自分自身を殺しに、街へ出る。

過去に自分が築いてきたすべてのもの。

未来に描いている勝手な理想図。

そういうもの。

守らなければいけないすべてのものを壊しに、街へ出る。

 

「メトロポリス」というのは、「母なる都市」という意味だ。

俺たちを育む母。

その胎内の奥底にもぐりこみ、自分自身とこの世界をつかさどる急所を刺しに行く。

それを仕留めた時、俺たちは「無」になれるのではないかと、そんな期待と予感に導かれて。

すべてを壊すために、街に出る。

 

そうやって、くり出してきた無数の人々で、街はにぎわう。

それが、祭りだ。

期待と不安と恐怖と高揚が、ない交ぜになっている。

期待とリスクが、等価のシーソーゲームのバランスをとって、そこには渦巻いている。

Get it with me
もし怖ければ手を握るよ
Dance with me, yeah
夜はこれから
RiRiとASAPのようにはいかないんだね
ほら迷い込んだ
出口のない迷路のよう
Baby I wanna feel you
1人じゃ抜け出せないよ

酒、命の水の調べ

清水翔太は、これまでのアルバムでも、酒を描写してきた。

『PROUD』の「Drunk」や、『FLY』の「夢がさめないように」などだ。

曲から受ける印象として、

  • 「Drunk」=クラブなどのパーティ
  • 「夢がさめないように」=カリブやミクロネシアなどのリゾート

というシチュエーションを想像させるものだった。

いずれも、非日常における酒、というシチュエーションだった。

今回の『White』というアルバムでは、この「Friday」を始めとして、酒を想起させる曲がいくつかある。

そして、そのほとんどが、「Drunk」や「夢がさめないように」などの非日常ではなく、日常生活に密着した酒のあり方を描いているように思える。

 

「Friday」の歌詞にも登場するRihannaは、快楽主義の世界代表みたいな立ち位置のポップアイコンだ。

ここに貼った「We Found Love ft. Calvin Harris」は、日本でも大ヒットしたので、知っている人が多いだろう。(「Friday」の歌詞に登場するA$AP Rockyと付き合う前の曲であるが)

ビデオの最初から最後まで、端から端まで「ヤバイ」。

破滅の匂いに満ち溢れたこのビデオを理解するために、以下の2つの記事を参考にしてもらいたい。

▼「We Found Love」のビデオを始めとした、ポップミュージック一般とドラッグの関係について指摘した記事。(Rihannaはどうして服着たまま水風呂に入ってるの?)

 

▼トランプ支持層の「ホワイトトラッシュ」とポップカルチャーの関係

 

ちょっとヤバい方向に踏み込んだが、「清水翔太がこれから、日本のこういったアウトサイダーカルチャーを代表していくようなるだろう」、ということが言いたいわけではない

ただ、清水翔太が参照している英米のポップミュージックの伝統には、ドラッグや貧困層のカルチャーが常に織り込まれている。

そして、その背後にある破壊や破滅への欲求みたいなものは、やはり俺たち日本人も同様に持っている部分がある、と思うのである。

それを、そのまま日本のメジャーシーンのポップスに持ちこむことは不可能だ。

日本のカルチャーに存在するものの中で、少しでも近いもので代用して表現するならば、合法である酒とタバコという形になる。

酒は、俺たちの日常生活のそこかしこに、存在している。

 

金曜の夜の、「恋」と「愛」

金曜日の夜には無数の人間が街にくりだすので、そこには理論上、無数の出会いがある。

ところが、俺たちはやっぱり心のどこかで、ある特定の「たった一人」との関係を大切にしている。

Ah, ah I’ll do it
待ちわびてた Friday night
何もせず帰れない
I’m going to dive
Oh yeah yeah 側にいたい tonight

俺の小説でもやっぱり、主人公の2人の男子は、「たった一人」との関係を胸にしまっている。

なぜ俺たちは、ある特定の「たった一人」の相手との関係を欲しがってしまうのだろうか。

 

これは、矛盾だ。

ある特定の「たった一人」との関係を大切にするということは、何かを「つくったり」「守ったり」したいという欲求だ。

一方で、さきほども書いたように、金曜の夜に街にくり出すということは、何かを「消したり」「壊したり」したいという欲求だ。

そのどちらもが、本当の気持ちなのだ。

 

以前、「dance with me.」のソウルレビューで、恋と愛の違いの定義について書いた。

  • 「恋(sexuality)」=短期
  • 「愛(love)」=長期

と、書いた。

今回、これを少し訂正しようと思う。

  • 「恋(sexuality)」=離脱の自由の制限なし
  • 「愛(love)」=離脱の自由の制限あり

に訂正する。

矛盾を抱える俺たちは、「恋(sexuality)」を求める気持ちと、「愛(love)」を求める気持ち、両方を胸にかかえている。

「Friday」の、「恋」と「愛」

たとえば清水翔太の「Friday」の歌詞の解釈について。

これはナンパに出かける歌にも聞こえるし、恋人と一緒に金曜日の夜にくり出す歌にも聞こえる。

Take it easy!
君のためなら飛べる
Blame it on me, yeah
君の好きにすればいい oh
0時を過ぎたあたりから本気になる
どこも混み合って
2人になれそうにもない
Baby I wanna feel you
今すぐがいいよ

・ナンパに出かける場合

ナンパに出かける場合は、話は簡単だ。

不特定多数との出会いの期待感にもとづき、無限にくり返される出会いと別れの消費行為に身を投げ出したいという欲求が、そこにある。

自分を壊して、常にリセットしていたいのだ。

出会いと別れを無限にくり返している間は、不死でいられる。

そこには常に「今」しかなく、何の前提条件も約束もない、とてもセクシー(性的)な行為だ。

・恋人と一緒に夜の街にくり出す場合

(それなりにステディな)恋人と一緒に夜の街にくりだす場合。

誰か、特定の大切な人と金曜の夜の街にくり出すという行為。

これは、どういう行為なのか。

これは、矛盾だ。

 

一方で、破壊行為ではある。

二人で、何かを壊そうという欲求。

これは、「永遠」を目指す欲求だ。

「今」と「永遠」は同じ意味だ。

この世のあらゆる理屈に背を向けて逸脱し、「現在」という刹那と完全に一体化する時、そこには永遠がある。

恋人と一緒に永遠を目指す行為。

これは、ナンパ行為の時と同じく、セクシー(性的)な行為だ。

 

しかし一方で、それは不可能なことだということにも、心のどこかで気づいている。

現実を受け入れてしまえば、そこには永遠などない。

シンプルな現実には、有限の体と、有限の時間(=余命)があるだけだ。

その時、有限の世界に立った時、俺たちは何かを「つくりたい」と思う。

二人で現実を抜け出して永遠になるのではなく、限られた時間の中で現実の中に何かを築こう、と。

これは、とても愛にあふれた行為だ。

 

セクシーなのは、前者だ。

「現在」という、たった一瞬の刹那にすべてを駆けるような生き様こそ、セクシーだ。

しかし愛があるのは、後者だ。

愛というのは特定の事物への執着であり、ケアのことだ。

 

俺たちは、現実とは無関係の、身勝手なロマンをめがけて、金曜日の夜にくり出す。

現実を忘れて、少しでも遠ざかるために、酒をあおり、音楽に身を任す。

たった一刺しですべてを瓦解させ、この世界から抜け出せる一撃を探して、夜の街をさまよう。

しかし、心のどこかではそれは不可能な欲求だと気づいている。

どこかで、現実を受け入れなければならないとも気づいている。

 

そして、現実を受け入れなければならないのだとしたら、特定の誰かと安心できる関係を築きたいと思っている。

それだけが、この世での破滅から逃れる道だからだ。

いつまでも現実から目を背けて、この世界から抜け出すことばかりを望んでいれば、望みどおりに身を破滅させることになる。

「We Found Love」のビデオの終盤で、頭を抱えるRihannaのように。

 

そういう、両方の気持ちが本当だ。

「恋(sexuality)」と「愛(love)」、両方持っている。

それは矛盾だ。

矛盾だが、本当だ。

どちらにも決められない、両方の気持ちに引き裂かれそうになっているのが、20代だった。

 

前回の『FLY』ソウルレビューで使用した「エロス」と「タナトス」という用語に従えば、

  • 「恋(sexuality)」=エロス
  • 「愛(love)」=タナトス

に近いと思う。

ただ、今の俺は、「恋(sexuality)」と「愛(love)」という分類のほうが、より明確にいろんなことを分類できるので、気に入っている。

エロスとタナトスは、常に入り混じっていてひっくり返ったりするので、扱いが難しい。

 

ちなみに今の俺も、やっぱり矛盾する2つの気持ちを抱えてはいる。

それでも、30代に入って、やっと少しずつ、一方に不退転の覚悟が決まってきているのだと思う。

Rihannaが「We Found Love」のビデオで、「hopless place(希望に見離された場所)」から抜け出す決断をしたように。

それは悪い気分じゃない。

清水翔太の「Friday」は、どちらにも決断のつかない、20代の、まだふわふわした浮遊感を思い起こさせる。

 

これから

と、ここまでが「Friday」のソウルレビューで、ここからは少し雑談。

貧困層のカルチャーがポップシーンのメジャーになることは、日本ではまずないだろうということを、この記事では書いた。

ただ、この点は、もしかしたらあり得るのかもしれない、とは思っている。

今回、俺が小説を書いたとき、主人公の男子たちは、それなりの所得階層に設定して書いた。

この主人公たちの収入が半分だったら、夜の景色はだいぶ違ったものになっていただろうと思う。

そして、これからの日本の若者の生活が、どちらに傾くかは、まだわからない。

 

もしも若者たちの大半が、生活に不安を抱かざるを得ないような社会になれば、ポップカルチャーも変わるのだろうか。

穏やかでない表現やカルチャーが、大きな支持を集めるようになるのかもしれない。

それはまだわからない。

わからないが、まぁ清水翔太は自分の生きている範囲で様々なことに触れて、素直に感じた事をベースに音楽をつくるだろう。

俺も、思ったことを書いて、ポップソングからそれなりに時代を学ぶだろう。

 

両方の気持ちに引き裂かれそうになっていた20代の気持ちをベースに、小説を書きました。

↑読んでみてください。(全8話です)

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ちなみにリンク先の「Scraiv」というサイトは、「文章のYouTubeを目指すサイト」です。

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↓アルバム『White』の各曲に対する意見や解釈も募集中です。

今回のソウルレビューも読んでみて、「いや、違うよ」とか「私はずっと思ってたんだけど」とか、意見があればぜひお寄せいただきたいです。

 

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