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一番熱い季節は、春なのかもしれない。

そりゃあ、朱夏をむかえれば、朱夏が一番暑いに決まっている。

しかし要点は、朱夏をむかえないヤツらがいるかもしれないってことだ。

夏をむかえた時には、すでに打ちのめされてヨレヨレになっているヤツらがいる。

計画も見通しもなく、すぐそこにあると思い込んだ栄光に向かって駆け出したとたんにボコボコに打ちのめされて土を舐めるハメになったヤツらが。

そこから立ち上がるヤツもいれば、立ち上がらないヤツもいる。

誰もが自分は夏にたどり着けると信じて笑い合えた季節が、一番熱かったのかもしれない。

 

破滅は2018年の日本には似合わないテーマではあるが、しかし破滅の予兆の無いところにヒリつくドラマがあるだろうか。

渇望から、駆動は始まる。

破滅できるのは、何かを持っているヤツと、何かを欲しがったヤツだけだ。

1973年に生きているわけではない俺たちは、法外な成功も法外な情熱も求めてはいない。

しかし、それでも、自分が反逆者なのだと自覚する瞬間ほど燃えるときがあるだろうか。

戦慄と重圧は、心の芯を締め付け、静かに堅く濃密ではち切れるほどに圧縮された「覚悟」を生成する。

 

賢くありたいなら、何も信じてはいけない。

しかし何かを成し遂げたいなら、信じるしかない。

信じたやつから夏に向けて走り出し、そして誰も帰らない。

それは永遠のさよならだ。

それはくり返されるリズム。

輝きと消失。

昼と夜。

春夏秋冬。

俺たちは寄せては返す波にまぎれた無数の微細な粒子に過ぎない。

少しでも遠くに、あるいは少しでも快適に、少しでも幸福に、波を乗りこなす。

誰も見ていやしないが、見ていて欲しいヤツは神にでも祈ればいい。

運命なんかおかまいなしに、誰もが飛び込んで駆け出していく。

結果の見えないゲームだけがプレイに値する。

不安と悲しみは懐にたずさえていく。

俺はまだ秋を知らない。

 

 

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