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このブログを開設してから100件弱の記事を書いてきたが、そろそろ自分の記事のクセがつかめてきた。

何を書いても、だいたい同じような落としどころに帰ってくる。

・宇宙的視点で見れば人生などちっぽけな存在に過ぎないこと。
・かつて自分が愚かだったこと。
・自分の中に相反する二つの性格が同居していること。
・「自分」というものはそれほど一貫性と一面性でわかりやすく捉えられるものではないこと。
・過去よりも、今と未来が大切であること。
・人はいつでも変われること。
・人間性と個性の源泉は身体にあること。
・理性や秩序やシステムは面白いけれど、思いつきや行き当たりばったりや、まるで予期できないもの(赤ん坊とか)も同じぐらいか、あるいはもっと面白いということ。

だいたいこんなことを、手を変え品を変え、書いている。

 

かつて60歳を超えたVan Morrisonが三十数枚目のアルバムを出した時、ある雑誌のレビューにはこんな感じのことが書いてあった。

「ヴァン・モリソンは数十年をかけてずっと同じ音楽をやっている、という人もいるかもしれない。しかし彼は、同じ円を何度も描いて旋回しているようでありながら、歳を重ねるごとに少しずつその中心に近づいている」。

そんなようなことが書いてあった。

ソウルミュージックってそういうもんだよね、という感じもするし、「中心」というのはおそらく神のことを指しているのだろう。

まぁ何にせよ、「Van Morrisonがずっと同じような音楽をやっている」ということには、あまり異論を唱える人は少なそうではある。

(だからこそ、ファンの間では「このアルバムこそが名盤!」みたいな意見も出やすいのだろうけれど。今日、なんかいろいろ見ていたら、こんなブログを発見した。⇒「http://loveletter4u.blog.so-net.ne.jp/2012-02-06」)

 

俺にとってこのブログは、ソウルミュージックみたいなものなのかもしれないし、違うのかもしれない。

頭をフルに使いながら、とにかく新しい発想に出会おうとして精魂こめて書いているものでは、ないようだ。

魂を試すような書き方はしていない。

そんなもの、そうそう人前にさらせるものかよ。

そういうのが読みたい人はこちらで ⇒ 「https://kakuyomu.jp/works/1177354054884864631

晩酌のようなものだ。

このブログはきっと、晩酌のようなものだ。

毎晩、必ず晩酌をする人は、きっと祈っているのかもしれない。

何の足しになるということもないが、魂はそれでいくらか慰められるのかもしれない。

 

ところで社会的な事が少し書きたくなったので書いておくと、「中心」という存在がそれほど重要なものでなくなっていく時に、「神」の重要性も同時に薄れていくのだろうか。

こういう事を言う時に俺が念頭においているのは、「中央集権から分散型の社会へ」という現代社会のトレンドのことだ。

まぁしかし、資本主義の土台にあるのがカソリックよりもプロテスタント的な価値観だとしたら、それはそこまで同調するものでもないのかもしれない。

とはいえしかし、「中央に寄せる」という感覚は、「統一されたただ一人の自分」という感覚と共通する。

「主体」とか「アイデンティティ」の感覚だ。

それこそプロテスタント的な感覚で、「神の監視(あるいは自分による自分の監視)の下での統一的な自分」という感覚は、個人主義と、個人所有の概念の根源にあるものだ。

そんなの、ちょっと古いよね。

「分散」という感覚は、「まぁ足先は足先で、鼻先は鼻先で、尻は尻で、それぞれ好きにやりなよ。とりあえずそれぞれの関連性とバランスについては、俺のほうで上手いこと調整しとくからさ。どうせどんなに好き勝手やったって、構造上バラバラに離れようはないんだから、その点は安心してさ。」という感覚に近いかもしれない。

ブロックチェーンにしろP2Pプログラムにしろ、こんな感じでやれると上手くいくのかもしれない。

いい感じだ。

夢があるじゃないか。

自分の心に従って、素直に生きることが、社会的にも正しい結果につながるなんて。

 

そんな世の中が来る事を願って、俺は今日も祈って、こんなことを書いているのかもしれない。

そして、そんな夢を未来に託している時点で、俺はまるで見当違いの馬鹿なのかもしれない。

もしかして、今でも、今日でも、俺は自分の心に従って生きてもいいのかもしれない。

そういう生き方をしても、もしかして俺は、世間から爪はじきにされることなく、食うに困って路頭に迷うこともなく、愛されたい人に嫌われずに生きていけるのだろうか。

わからない。

そうなのかもしれない。

そうだとしたら、俺はその事実を知りたくないのかもしれない。

今でも、今日でも、俺は自分の心に従って生きることもできるのに、自分が臆病で踏ん切りが足りずに人の評価ばかりを気にして過ごしているから、いつまでもどこかで心に穴があいたような、自分の心をギュッと握り締めて小さくおとなしくさせながら生きているような、息をひそめて目を細めながら背中を丸めて歩く事を強いられているかのような、息苦しさと窮屈さを感じながら生きるばかりの毎日になっているのかもしれない。

そうだとすれば、俺は愚かだ。

欲しいものが手を伸ばせば届くかもしれない範疇にありながら、「そこには行ったことがないから」とか、「それも安全だと誰も言ってくれないから」とか、そんな理由で手を伸ばさないというのは。

いや、しかしそれもまた生きていく上では必要なスキルだ。

「慎重さ」というのは、決して悪いこととは限らない。

「手にしたものを失う事を恐れる」というのは、人生における利益を最大化する戦略の中で、決して愚かな態度とは限らない。

わからない。

でも、ヒントはきっといろんなところに転がっていて、それらをどう収集して解釈して、決断と行動につなげるかというのは、結局のところセンスだ。

わからない。

「全体最適」と「情報化」が、我々の本当に最適な心の幸福につながるだろうか。

わからない。

もう「わからない」と言っているだけではいられないほど、十分に世の中をこの身に浴びた気もする。

すぐそこに、答えもあるような気がする。

ただ考えをまとめるだけのことをしてしまえば、どう論理的に考えても、一つの結論にたどり着かざるを得ないところまで来ているのかもしれない。

ただ、そのまとめる行為を俺がしないのは、単に臆病なだけなのかもしれない。

わからないが、わからないなりにまぁまぁそこそこは愉快に暮らせてはいるので、今日のところは風呂に入って寝るのである。

そんな平和が、ここにはあるのである。

明日もどうぞよろしくな、そんな一日を待っているのである。

 

 

「ソウルブラザーズ」というイカした名前のグループは幅を利かせているけれど、今のメジャーシーンにはなかなか「生き様」を音にしたようなソウルミュージックは無いね。

 

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