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チャイナタウンでランチ

どこぞのチャイナタウンで昼メシを喰らうわけだが、安い。

500~800円といったところだ。

そしてメニューにも不足は無い。

麻婆豆腐、回鍋肉、青椒肉絲、蚝油牛肉、糖醋肉、腰果鶏丁、などなど。

 

元来、俺はランチを中華料理屋で喰らうのが好きだ。

中華料理屋のランチセットというやつは、手ごろな価格で品目数が摂れるところが良い。

かつて俺が江東区の職場に勤めていたころ、職場から歩いて10分ほどのところに、こじんまりした中華料理屋があった。

旦那さんが料理をし、奥さんが給仕をし、夜には奥の席で息子が時間をつぶしているような店だ。

俺は、日本に来てから言葉を練習したのだという奥さんとLINEを交換したり、会計のときには旦那さんが厨房から出てきてくれたり、日本の小学校にかよう息子があいさつをしてくれる程度には、その店に足しげくかよった。

なんの変哲もない、全国のあらゆる街角にあるような中華料理屋ではあった。

しかしスタミナと栄養バランスと価格のことを考えると、前の職場の近くでそのバランスを達成できるのは、その店以外には無かったから、俺は足しげくかよった。

 

ひるがえって、チャイナタウンである。

江東区のあの店よりも、さらにお手ごろ価格でメニューも充実した店が、軽く20店舗ほどはズラッと並んでいる。

しかし俺は、そのうちのどの店舗にも足を踏み入れることができなかった。

決め手がない、のだ。

看板から店構えからメニューから、何から何までそっくりな店が20店舗も並んでいたところで、決められやしなかった。

おそらく、そのうちのどの1店舗でも、職場のすぐそばにあれば、俺は迷わず入っていただろうし、場合によっては足しげくかよっていたかもしれない。

しかしそれが20店舗あると、どこにも入らないのだ。

 

情報過多で情報不足な2017年ライフについて

いわゆる情報化社会の中で、情報過多に戸惑う2017年ライフについて考えるのは、こんな時だ。

選択肢が1つしか無かったころ、俺たちのライフはシンプルだった。

そこでは、出会ったものが、必要なものだ。

情報の貧困がもたらす、「縁」や「運命」の世界。

しかし選択肢が20もあるとき、俺たちは潤沢さを目の前にして戸惑うのである。

 

これはそのような情報過多であると同時に、情報不足の問題でもある。

20の選択肢があることがわかっても、俺たちはその選択肢の内実を仔細に知ることはできない。

情報はまだ、そこまでの潤沢さではない。

同じ看板とメニューを掲げた20の店舗を前にするとき、俺が感じるのはそのような情報不足だ。

さて、この看板と扉の向こうには、どんな店と料理が隠されているのだろうか。

 

2017年の俺たちはこのような地点にいる。

あらゆる場面で、多彩な情報にアクセスできるようでいて、しかしその情報の仔細な内実までは見えない。

それが見えるようになったらどうなるだろうか。

これからさらに情報の流通がすすむ世界について、想像はたくましくなる。

そこでのライフはいかなるものになっているだろうか。

俺たちは、偶然の出会いやしがらみではなく、自分たちの来し方と行く末を、充実した情報を土台に熟慮して決断できるようになっているのだろうか。

それは人間の縁や関係を、どのように変えるのだろうか。

そのようなことを、俺は考えている。

 

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