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「自分探し」みたいなことを、けっこうやった。

本当に自分自身がわからなくて、でも知りたくて、どうしようもなかった。

それでたどり着いた、結論があった。

「自分は、両親のDNAを半分ずつ持って、1987年の、東京に生まれた人間」。

 

半分、開き直りではある。

アホみたいな結論だが、それでも納得感は深かった。

もしも1987年の東京に生まれていなかったら、自分が今のこういう自分になっていないだろうことは確かだから。

ずっと「自分」というものを内部に探していたのだけれど、結局は環境要因がほとんどだと納得できた。

DNAも、環境要因も、全部、周りから与えられたものだ。

周りから与えられたもので、自分は出来上がっている。

それに気付けたことが、大きかった。

 

だから、恋人と別れた時にどうしてあんなに、引き裂かれるほどに心が痛かったのかもわかった。

恋人も、自分の一部だったからだ。

自分は、周りから与えられたものでできている。

恋人がいなくなった時、自分の中の、その部分が消えた。

自分の一部が切り取られてしまったのだから、引き裂かれるほどに痛くて当然なのだ。

 

1万ほどの夜を超えてきた。

それが、全部自分だ。

今日も、妙な一日だった。

遠い地域の人たちと、子育てについてひたすら語り合って来た。

性格に言うと、子育てについてはほとんど語っていなくて、子育ての環境について。

語り合ったというけれど、自分は聞くばかりで、ほとんど何も話さなかったような気がする。

明日は、逆にたくさん話さなければなるまい。

そういう、一日一日が全部、自分だ。

コントロールなど、できはしまい。

なるべく、納得のいくように生きるしかあるまい。

 

今日が終わって、明日が来る。

 

 

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