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真の始まりを告げる2曲目、「PROUD」で清水翔太は呼びかける

『PROUD』というアルバムをライブステージにたとえるならば、1曲目の「Feel Good」は挨拶代わりの弾き語りだ。

ピアノだけが置かれたステージに、翔太が登場し、一人きりで静かにライブの始まりを告げる。

翔太が「Feel Good」を歌い終わると、ステージは暗転し、しばらく観客のかすかなどよめきとささやき声だけが聞こえる。

そして突然響くのだ。

ライブの真の幕開けを告げる、2曲目「PROUD」のイントロが。

スモークが炊かれたステージの上にサッと照らされたスポットライトに浮かび上がるのは、人々の視線を独占する清水翔太の姿だ。

そして音が一瞬やんだ直後、「let it go」の掛け声で高らかに歌と曲が始まる。

俺の脳裏に浮かぶのは、そんなイメージだ。

 

 

「PROUD」という曲は、まっすぐにメッセージを届ける曲だ。

まるで清水翔太が俺に語りかけているのかと思えるほど強く、まっすぐに呼びかけてくる。

本当の君はきっと怖がってるんだよね

本当の僕ならここにいる

だから Be Proud

ここにいるから

せめて Be Proud

ここにいるから

「君」とは誰だろう。

清水翔太の曲はだいたいいつもラブソングの形式を取るから、誰か特別な人へのメッセージかもしれない。

しかし俺がこの「PROUD」という曲を聴くとき、清水翔太は俺に向けて呼びかけているように感じるのだ。

俺に向けて、そしてすべてのリスナーに向けて。

たしかにそこで、まっすぐに歌っている清水翔太を、俺は感じるのだ。

強く存在を主張し、何かを呼びかけている清水翔太を感じる。

そして命令形の「Be Proud」は誰に言っているのだろう。

「君」に言っているのだ。

「誇っていようよ」と。

そして俺は、この歌が俺に呼びかけているように感じるから、命令形の「Be Proud」は俺に対して言っていると感じる。

清水翔太はこう言っている。

「俺がここにいるから 君もBe Proud」と。

おかしな理屈だ。

清水翔太が確固としてそこに存在することと、俺が自分を誇ることの間に、何の関係があるというのだろう。

それをこれから語る。

 

 

「PROUD」 ヴァース1

いつもOne Chance それがYour Life

俺も同じだよ いつも後悔

開けたばかりのワイン まだ一滴すら注いでない

時間は気にしていない とっくに狂っちゃった体内

人生は一度きりで、上手くいかないこと、取り戻せないことはたくさんある。

清水翔太にだって、後悔はある。

ただ、人生はいつだって新しく始められる。

これまでの人生で、いったい何をしたというのか。

これからの人生の、いったい何をあきらめたというのか。

人生はまだ「開けたばかりのワイン」であり、「まだ一滴すら注いでない」のだ。

年齢など関係ない。

体内は「とっくに狂っちゃった」から、「時間は気にしてない」のだ。

何かにとがめられてないかい

I Know 今いる場所 これも My Life

君が俺を怒る

良いことも悪いことも残る

この芽が腐ったならイコール

君と俺に何かが起こる

それでも 俺を気にしてくれた君を俺はずっと誇る

It’s Like LV, Diamond, Sunshine

その輝きさえあれば I’m Fine

人は歳を重ねると、何か負い目をおうことも増えるものだ。

自分で自分を責めることもあれば、誰かに責められることもある。

それでも、今の自分がいる地点がmy lifeであることは変えようのない事実だ。

何かに挫折したり失敗した時にこそ、新しい何かは始まるものだ。

良いことも悪いことも起きたうえで、それでもなお「俺」を気にしてくれた「君」を「俺」はずっと誇る。

そして良いことも悪いことも、堂々と胸を張って受け止め、自分の財産として誇れるようになった時、人生はふたたび輝きだす。

負い目は決して軽い荷物ではないけれど、その荷物すら自分のものとして誇れるようになれれば、負い目をおったままでも「I’m fine」になれる。

 

「せめて Be Proud」

コーラスにおいて、「せめて Be Proud」と言っていることに注目しよう。

この呼びかけは、決して順風満帆で負け知らずの道を歩いてきた者の声ではない。

傷つき、自分を疑い、すでに何かを失った者が、それでも「せめて Be Proud」と言っているのだ。

いつまでも自分を責めたり、恥じたりしないで。

怖がらないで「Be Proud」。

「僕は本当の僕としてここにいるから、君も Be Proud」、と清水翔太は言っている。

言ってくれているのだ。

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「PROUD」 ブリッジ

誰かの優しさに救われたからって

誰かの悲しさに足をすくわれないで

君は君のままで 何も間違ってない

見てなよ 大声で叫んであげるよ

人は間違うし失敗もする。

それを気にしない人は愚かだ。

だからといって、気にしすぎて動けなくなるのも、必ずしも誠実な態度とは言えない。

人にできる最も誠実な行為はおそらく、何もしないことではなく、自分が思う最上の行為をすることだ。

本当のことなんて どこにも書いてない

本当はいつも その胸にある

だから Be Proud

わかってるから

いつも Be Proud

ここにいるから

正解など誰にもわからないから、自分の思うとおりに動いてごらん、と清水翔太は言ってくれる。

「ほら、こうやるんだよ」と清水翔太は見せてくれる。

何をしてくれるのか。

大声で叫んでくれるのだ。

「ここにいるから」と大声で叫ぶ清水翔太は、すべてを背負ったまま、すべてと共にそこに立ち、そこにいるのだと叫んでいる。

恐れたり、恥じたりせずに、本当の自分を解放していいのだと、見せてくれている。

良いところも悪いところもひっくるめた自分を誇って、人に見せていいのだと言ってくれている。

 

 

ラブソングとして

以上は、清水翔太が俺に、そしてリスナーに呼びかけていると思い込んだ上での解釈である。

普通にこの歌詞の「君」という存在を、特定の誰かだとすれば、祈りにも似た切ない想いを抱えたラブソングだ。

誰か、自分を誇ることができていない誰かに向けて、どうか自分を誇ってくれと呼びかけている。

 

自分を誇ることは、自分にしかできない。

誰かが誰かを心から救いたいと願ったとしても、救われる当人にその気がなければ、他人からは手の施しようがないのだ。

「そんな風に自分を責めて閉じこもってないで、俺はここにいるから、ここまでおいでよ」

呼びかけても、向こうが動いてくれない限り、状況は好転しない。

強く生きる気がない者は、萎れた場所から立ち直れない。

自分を幸せにしてあげる気がない者は、着実な一歩一歩を踏みしめることができない。

そんな時、呼びかける人は、自分の非力さに打ちのめされるのみだ。

 

その意味でも、強く生きることこそ他人にとっても誠実な態度であると、俺は思うのだ。

何かの負債を返したいと思うのなら、よりよい人間になろうと思うのなら、自分なりの考えで行動するより他ないと。

しかしそれを、咎められているような気持ちで行っていたのでは、罰を受けているのと変わらない。

他人にとって本当に誠実であろうとするのなら、自分のことも幸せにしなければならない。

罪をつぐなうような気持ちではなく、誇りと共に弱さを乗り越えて動きだせたとき、人生は輝きだす。

自分も、他人も、すべてを救う方法は、それ以外にないと思う。

 

 

どんな解釈にせよ

すべての人に強く、幸せであろうと呼びかける。

「PROUD」はそんな、強く優しい歌だと、俺は思う。

アルバムは2曲目にして、早くも怒涛の高まりを見せるのである。

 

 

※アルバム3曲目 「Damage」ソウルレビューはこちら

3.「Damage」 – 『PROUD』 全曲ソウルレビュー –
清水翔太 『PROUD』 魂の全曲レビュー。勇敢で強靭な歩みの証。清水翔太はデビューした時から、心の中に、いつも忘れられない別れを持っていた。「Damage」のイントロのセンチメンタルなピアノは、故郷と言えるほど美しいあの頃を思い出させる。

 

※清水翔太 アルバム『PROUD』全曲ソウルレビューはこちらから

清水翔太 アルバム『PROUD』(2016) – ソウルレビュー –
2016年の傑作アルバム、清水翔太『PROUD』全曲レビュー 清水翔太が26~27歳の時につくったこのアルバムは、2010年代を生きる20代の心と風景を描いた傑作だと俺は思います。清水翔太自身にとっても、ポップミュージシャンと

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