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昨日の記事に書こうかと思ったけど、やっぱり長くなりすぎるかと思って書かなかったいくつかの事を、書いておく。

昨日の記事↓

テクノロジーは「人間」を変えるか
春だから 森進一 「襟裳岬」(1974) 夕飯の時、「春が来たんだねぇ」と妻がつぶやくので、俺は「襟裳岬」を歌った。太田裕美 「木綿のハンカチーフ」(1975) 話しているうちに、「木綿のハンカチーフ」

 

小林明子 恋に落ちて(1985)

「レイニーブルー」に「かけなれたダイアル 回しかけてふと指を止める」という歌詞がある。

ここで思い出したのは小林明子の「恋におちて -Fall in love- 」だ。

この「恋におちて」という歌ではやはり、この部分の歌詞が印象に残る。

ダイアル回して 手を止めた

I’m just a woman.

Fall in love.

音楽というのは、言葉を超えて(歌の場合は言葉と同時に)感覚や情景を伝えるものだとされるが、こういう印象的なフレーズを聞くと、それだけで確かに伝わってくる。

恋というのは、「する」ものでもなく、「見つける」ものでもなく、「おちる」ものなのだと。

で、この部分の歌詞について、Wikipediaにこんなことが書いてある。

特に「ダイヤル回して手を止めた」の部分はダイヤル式の電話を指しているが、1980年代後半は公衆電話がダイヤル式からプッシュホン式に替わったケースが多く、この歌詞を変えるべきが迷ったが、ダイヤル式は電話をかける時に時間がかかり、その時に迷う心理を表現するためにあえてこの部分を残して発表した。

実存とテクノロジーという事で、昨日の記事に入れようかと思ったが、なんとなく余計かと思って入れなかった部分である。

 

松田聖子 制服(1982)

菊地成孔がカラオケに行くとやっぱり「Sweet Memories」歌っちゃうし、「制服」はすごい名曲だよねみたいな事言ってる対談をどこかで読んだけど、名曲だよね。

「上京」という、日本全国同じタイミングで同じ方向に向けて起こるドラマ。

いいよね。

雨に濡れたメモには

東京での住所が

握りしめて泣いたの

そんなん今なら、フェイスブックでネトストでもしろや、というところだが。

これについても、教育制度が変わってしまえば、皆が同じタイミング(たとえば4月だとか9月)に「卒業」して散っていくという、そんな場面がそもそもなくなってしまうかもしれない。

 

ところで、YouTubeでこの曲を検索すると、この化け物じみたサムネイルのやつしか出てこない。

本当はレコードバージョンがいいんだけど。

このライブ動画の時点で聖子姫様は御歳41だ。

さすがというか、さすがというか。

 

斉藤由貴 三年目(1987)

松任谷由実とか中島みゆきとかその辺の世代の人たちって著作権にうるさいのか、YouTubeに全然曲が残ってない。

たぶん、この辺の人たちって自分であんまりYouTube使ってないからなんだろうなぁと、俺は勝手に想像する。

うちの父(64)は使ってるから、その世代の人たちはみんな使ってないんだろうなぁって言いたいんじゃなくて、単純にその人たちは使ってないだろうなぁという。

自分で使ってたら、アップした上で適切に管理しといたほうがいいかなって思うよね、たぶん。

 

で、昨日検索してみたら、昔見たこの動画がまだ残っててよかった。

俺は斉藤由貴のアルバムを全部聞いてるだけでなく、それどころかだいぶ救われてもいるぐらい斉藤由貴の音楽が好きだ。

で、普通のアイドルってだけじゃない斉藤由貴の魅力というか、すごさみたいなものを伝えたいと思ったら、とりあえずこの動画を見てもらいたいと思う。

なんぞこのクソ長回しww (さすが舞台女優)

でもわりと地でこのままの感じの人だから、歌もそれだけ念がこもってて濃密だ。

ついでに言うと、小説や詩も、ほとんど全裸レベルで心の念がこぼれてて濃密だ。

 

つながらない電話による、鳴り続けるコールの虚しさ、みたいな話で、昨日の記事にこの動画を貼ろうかなと少し思ったわけだ。

なんとなく、余計かと思って貼らなかったけど。

以上、昨日の記事のこぼれ話でした。

 

※こちらの記事も合わせてどうぞ

テクノロジーは「人間」を変えるか
春だから 森進一 「襟裳岬」(1974) 夕飯の時、「春が来たんだねぇ」と妻がつぶやくので、俺は「襟裳岬」を歌った。太田裕美 「木綿のハンカチーフ」(1975) 話しているうちに、「木綿のハンカチーフ」

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