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あなたは「何者か」になりたいですか?

あるいは、すでに「何者か」になったと思いますか?

 

肩書、立場、役職、実績、業績、財産、信頼、尊敬。

「何者か」を目指している人は多い。

「何者か」になるために生きていると言ってもいいかもしれない。

俺だってそうだ。

そうでなければ、こんなブログなど書いていないのかもしれない。

 

力学として、何者かになろうとする力が一方に向けて働いている時、反対側にも力が働いている。

「何者でもない」自分になろうとする力だ。

 

 

「どうせ死ぬなら、思いっきり好きなようにやろう」。

その言葉を口にする人に、最近2人会った。

その言葉はたぶん半分正しくて、半分間違っている。

本当に問題になるのは、「死ぬ」ことではなくて、「生きる」ことだ。

死ぬことの無意味に耐えられるのなら、頑張ってみることにさほど意味はない。

生きる自分が耐えきれないから、望むことを実現することが何かの慰めになると思うのだ。

しかし一方で、死ぬことの無意味が与えてくれるものもある。

 

 

俺はたぶん、「何者でもない自分」になろうとする力に、他の人より少しだけ敏感なのかもしれない。

少しでも何かが形になろうとすると、すぐにすべて捨て去りたくなる。

ずっと、ずっと、「何者でもない自分」でいたい。

そう感じてしまう。

世の中で生きていく上で、それは不利だ。

なんでもかんでもすぐに壊したり捨てたり投げ出そうとするやつは、世の中的に少しヤバい。

でも、俺の中のそういう気持ちを、無いことにするわけにもいかない。

 

それで、「あとから考えるひとたち」をつくった。

どんなに肩書や地位や財産を持っている人も、ここに来れば「何者でもないあなた」「誰でもないあなた」として扱う。

世間的にどんな人間かとか、やってみた行為にどんな意味があるかとか、どうでもいいよ。

なんでもいい、どうでもいいし、別に何もやらなくったっていいよ。

何か知らないうちにやっちゃってたなら、それはそれでいいよ。

どうでもいいよ。

勝手にしなよ。

どうせ全部くだらないんだから、静かに笑おうよ。

そういう空間を、作りたいと思った。

これから、つくる。

 

 

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