※「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」は、
クリエイティブコモンズなんちゃらで公開されていた相田みつをさんの作品です。
俺、この言葉好きだったけど、相田みつをとは知らんかった。

 

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1.俺たちのあの日

 

先週の金曜日、会社の同期二人と飲みに行った。
アカネとカズキと俺。
俺たちは入社4年目。
入社してから、毎月の最終金曜日は一緒に飲もうと約束して、ほぼそのとおりにしてきた。
いつしか幹事は持ちまわり制で、その月の担当の幹事が何かしらアイディアを出して面白い会にしようとしてきた。
そうして、俺たちはいろんなところに行って、いろんな事をしてきた。

 

先月の最終金曜日、定期的に飲むようになってから初めて、誰も何も言わないまま、金曜日が過ぎ去った。
3人とも忙しかったし、飲み会にはしゃぐような気持ちでもなくなってきたのだ。
俺たちはたぶん、3人全員が、それを自然な事として受けとめた。
誰一人、昔のような一体感を、無理に再現しようとはしなかった。

 

そして今月、また自然な事として、最終金曜日に飲みに行く連絡を取り合った。
俺は正直言って、連絡が来るまでそれすら忘れていた。
そうして、俺たちは2ヶ月ぶりに集まった。

場所は錦糸町の居酒屋「北海道」。
俺たちが初めて会った内定者懇親会の日、会社の人たちと別れて初めて3人だけで飲みに来た店。
あの日、初対面ながらしたたかに飲んだ俺たちは、地方から来ていたアカネのために会社が用意したロッテホテルの一室にまで上がりこんで、朝まで乱痴気騒ぎをした。
アカネは酒に負けてガラス張りで丸見えのトイレの便器を抱えたまま動けなくなり、俺とカズキは男二人でベッドの上に膝つき合わせてさらに酒を飲んだ。

 

俺たちが酒を飲む時は、いつだってそんな風だった。
よく3人そろって外部研修に行かされたけれど、しらふで研修二日目を迎えた事はなかった。
いつも死にそうな顔をして休み時間に現れるアカネを、俺とカズキは笑いながら、蕎麦屋や定食屋に抱えるようにして連れ込んだ。
そういう俺やカズキだって、昨夜を後悔する程度には二日酔いだったけれど、自分よりも辛そうな人間を見ていると気持ちには余裕が生まれるものだ。

 

表参道、渋谷、有楽町、五反田、目黒、有明、両国、天王洲、お台場、駒込、神田、浅草、押上、北千住、丸の内。
俺たちは東京のそこら中で飲んだ。
銀座のカラオケ屋では、21時から終電まで数時間滞在しただけで、3万円以上払ったこともある。(ちなみにこの時は酔った勢いでなぜか俺が全額払った)
俺たちは若くて、会社員である事が嬉しくて、東京に暮らしている事が嬉しかった。
仕事は面白くないし会社では辛い事もあったけど、別に明日の事など興味がなかったから、仕事もどうでもよかった。
責任感も目的意識もなかった。
俺達の生活にも心にも、将来の見通しや安定感などの居場所はほとんどなかった。
別に欲しいとも思わなかった。
ただ、その日を生きるのが楽しかっただけだ。
そしてどこかで少し、何かに胸を痛めて、いろんな事に懸命で忙しかっただけだ。

 


 

2.年齢という謎

 

先週の金曜日、4年前と同じ居酒屋で飲んだ俺たちは、ひどく大人しかった。
どこかシャイに、控えめに、自分たちの現状などを話すだけだった。
特に何か面白い事を求めるでもなく、どうしても話したいトピックがあるわけでもなく、ただ、思いついたことをぽつぽつと話すだけだった。
そうして控えめに梅酒などをチビチビとやり、23時が近づいてくる頃にウーロン茶を頼んだ。
翌日の土曜日を誰もが大切にしたがっていた。
それでいて、金曜日のこの機会が大切なものだという事もわかっていた。

アカネは来月、結婚する。
カズキはプログラミングを独学で学んでいるのだと言っていた。
俺は来月、子供が生まれる。
俺たち3人は、かつて確かに何らかの時代を共有した。
そして先週の金曜が、その最後の日なのだと、どこかで感じていた。
それはとても自然な事で、そうであるより他ないのだと、受け入れていた。

 

どうしてそうなのだろう。
かつて俺は、30歳になるぐらいなら死んだほうがマシだと思っていた。
ポール・ウェラー言うところの「Don’t trust over 30(30歳以上を信じるな)」を、わりと本気で信じていたと言ってもいい。
それなのに今、30歳になろうとする俺は、自分の現状を自然な事として受け入れている。
年齢に伴うこの、いくらか劇的とも言える変化はいったい何なのだろう。

 

マーク・トウェインはかつて、「29歳の自分は、自分が浅はかで向こう見ずな24歳でないことを喜んでいた。24歳の自分が、活気のない29歳でないのを喜んでいたのと同じように」ということをどこかに書いていた。
(たしか「従軍失敗私記」の中だったと思って調べたが、見つけられなかった。)

 

ミラン・クンデラは「人生の年齢の秘密(グドベルグー・ベルグッソン『白鳥の翼』)」という文章の中で、「他者を理解するとは、その他者が生きている年齢を理解する事を意味する。年齢という謎は、小説だけが解明できる主題の一つである。」と書いている。

 

あるいはヘルマン・ヘッセは「夢の家」という未完の小作品の中での父子の会話において、人生の段階をゲーテの作品の段階になぞらえてみせる。
「晩年のゲーテ、すっかり年をとってからのゲーテの作品は、私が今あらゆる本の中で最も愛するものだ。だがおまえにはまだ時間がある。まだたくさんの時間がある。おまえは今、どうにかヴェルターの時期を過ぎて、修行時代のあたりだろう」

 

そうして、俺たちはこの謎に満ちた旅をつづける。
過去の自分に見えていた景色も、これからの自分が見るであろう景色も、今の俺には見えない。
年下の人間に、自分の経験から何かを教えてやろうとしても、もはや若い世代から見た景色に共感できないから、遠くからの客観的な理解とアドバイス程度のものにとどまる。
ましてやこれからの自分が見るであろう景色については、年配の人のアドバイスに耳をかたむけようにも、言っていることに実感やリアリティが無さすぎて興味がわかないのだ。
まさか俺が、今の俺のような俺になるとは、かつての俺は思っていなかったし、言っても信じやしなかっただろうし、信じようにも共感のしようがなかっただろう。

 

 

3.俺達の貧しさ

 

帰り道、いつもの最寄り駅ではなく、少し遠いJRの駅から歩いて帰った。
そちらのほうが終電が遅いからだ。
真夜中をすぎて静まった商店街を通り抜けながら、Anarchyの2008年のアルバム『Dream and Drama』を聞いていた。

 

 

俺たちは手ぶらでこの世にやって来る。
欲しいものがあるなら手に入れるしかない。
俺たちはそうして今までやってきた。
言葉も、知識も、体の使い方も。
服のセンス、良い音楽、愉快な会話、健康の守り方、敬意の集め方。
全部を自分で手に入れてきた。
もちろん、人に教わり、人に学びながらだ。
そして仕事もカネも恋人も、自分の手で手に入れていく。

酒に酔い、真夜中の住宅街を歩きながらこの曲を聞き、いつの間にか歳を重ねてきた自分が過ごしてきた日々を思った。
その時に俺が気づいたのは、何もかもを知らなくて、何も持たなかった日々が、すでにいくらか過去のものになっている事だ。

そして耳にからみつき馴染んで浸透するトラックと、Anarchyのラップの天才的なフローが重なり合うのを聞きながら、Anarchyにとっても同じだったのだと思った。
Anarchyがその過酷な生活の中で、何かを手に入れるために力をたくわえ、研鑽して身につけたのは、ヒップホップのセンスとラップの技術だ。
Anarchyがこの芸術的な曲を生み出した時、Anarchyはすでに手ぶらではなかった。
これだけのマスターピースを作る力を彼はすでに持っていたからだ。
この曲を作った時、この曲で歌われている牢獄のような無力で無防備で手ぶらの日々は、Anarchyにとっても過去のものになっていた。

 

アカネとカズキとぽつりぽつりと話していた時、俺が痛感したのは俺たちの貧しさだ。
日本社会の中でおそらくほぼ中流に位置するであろう俺達の、現在と将来の家計について。
一人で働いて一人で生きてきた今までこそ、いくらかの余裕を持って遊べる金もあった。
しかし家族が出来て、一人が1.5人や2人前をまかなうのだとしたら、もはやゆとりは無い。
そして毎日毎日経費削減と売上げの増大を突きつけられる中小企業の労働環境の中で、将来の収入が大きく上がるアテもない。
そして親たちは確実に老いていき、子供と同じように手と金がかかる存在になっていく。
東南アジアやアフリカなどの新興国が発展する中で、先進国としての日本の優位性は薄らいでいくだろう。
明らかに増えない収入の中で扶養家族ができて学費などの支出も増える時、俺達の家計は破綻寸前である。
そんな時のために、俺たちには何ができる?

 

 

4.貧しい俺たちに何ができるか

 

①このまま暮らす

俺たちが選べる道の一つは、このまま暮らす事だ。

貧しいとはいえ、暮らせないほどではないのだ。
9時から18時まで、1時間の休憩を挟んでフル稼働で働いて、やっと暮らせる程度。
ほんの少しだけのゆとりと貯蓄。
ある意味で、これはむしろちょうどいい収入だとも言えるだろう。
必要充分で、まったく過剰の無い、筋肉質な家計。

その時に俺たちが心を砕くべきなのは、収入を増やす事ではなく、収入をそのままに、この生活を豊かに彩る事。
そして幸福を生み出す事。
たとえば必要以上の収入を求めてみたところで、ただ贅沢に消費するだけでは、結局心は満たされない。
自分以外の誰かが、自分以上に贅沢な生活をしているからといって、自分のほうが不幸だとは限らない。

 

資源が有限であるという前提に立つ時、自分よりも贅沢な生活をしている誰かがいる事を知ると、腹が立つ。
その贅沢の分、自分への資源の配分が減るからだ。
しかしだからといって、自分も同じような贅沢をしようと努力するのであれば、これはいささか不誠実な態度だとは言えないだろうか。

自分の収入だけをとにかく求めようとする時、その態度は帝国主義の態度だ。
必要以上の資源を求めて、いたずらに領土を拡大し、他人の資源を奪う。
さらに、収入の増大と富の蓄積(貧困からの離脱)のために、他者との交換を嫌い、自分の収益を確保する事だけを求める時、それは重商主義の態度だ。
各国が国境の閉鎖性を高め、自国の利益の事だけを考える時、そこに大戦の火種が生まれる。

誰もが自分の利益だけを少しでも高め、確保しようとして、限られた資源を奪い合う時、そこには必ず紛争が生まれる。
そういう事を知った俺たちが自分を貧しいと感じたとき、まずは自分の収入がどれだけあれば充分なのか、を問うべきだ。
そして身の丈にあった収入の額を知り、その収入を実際に手にできるよう働く。
それができたならば次に考えるのは、その収入の中で、あるいはさらに支出をおさえながら生活をさらにどれだけ良いものにできるかだ。

 

たとえばAnarchyは彼の芸術によって収入を得た。
そんなAnarchyの立場に立ってみて、二つの選択肢があるだろう。
さらなる収入の増大を求めるか、その収入に満足するか。

そしてもしもAnarchyが無限に増大する収入を求めない選択肢を選んだ場合、彼の前には大きな可能性がひらける。
Anarchyの知名度、ヒップホップのセンスと芸術性、社会への不満。
こういった資源を持つAnarchyは、彼と彼の身近な人間、さらにもっと多くの人間を幸福にするための多くの仕事をできる余地がひらけるのだ。
そして、こういった資源はどんなに使っても人への迷惑にならないのである。
なぜならこの資源は、Anarchyが自分で作り出し、Anarchy以外の誰にも属さず、Anarchyだけが使える資源だからだ。
この資源を、「金」という有限で人と分け合わなければならない資源に変えてしまう事は、いささかもったいないことではないか、というのが、俺の一つの考えだ。
自分の資源を金に変換せず、直接に幸福に役立てる事が、社会全体の幸福の増大につながる。

 

■疑問No.1 労働時間をもっと減らす事はできるか

収入を増やさずに幸福を増やす事を考える時、俺の心にはある疑問が浮かぶ。
技術が進歩し、生産性がこれほど高まったのだから、人はもっと働かなくていいはずだという疑問だ。
技術が進歩しているのに人々が今でもこれほど忙しいのは、さらなる何かを求めているからだ。

そのバランスを少し変えて、人々がもっと働かずにすむようにすることは、それほど無理な話ではないと感じる。

 

② 収入を増やす努力をする。

 

俺たちに選べるもう一つの道は、もちろん、収入を増やす事だ。
俺たちは資本主義の時代、資本主義の社会に生きている。

資本主義が俺たちに要求するのは、もしも俺たちが何かを持っていて(たとえば技術だとか才能だとか物質だとか)、それを社会に流通させたい場合、それを資本化しろという事だ。
資本化するというのは、価格をつけたり貨幣に換えたりして、交換可能な価値にしろという事だ。

たとえば俺が直接にやりたい事が、金を稼ぎたいという事ではないにしても、手段として金を稼がなければならない場面は生まれる。
暮らすために俺が要求する収入が年収400万円だとして(実際、俺が要求するのはそんなところだ)、もしも俺がさらなる仕事のための資本を必要とするのなら、俺はそれ以上に稼がなくてはならない。
逆に言えば、年間400万円以上の収入を得る事ができたなら、その分は他の事に使える。

ダライ・ラマがレディー・ガガに「あなたのような人はどんどんお金を稼ぎなさい」と言ったというが、つまりそういう事ではないか。
資本主義の世の中では、金を稼ぐ事自体が、社会を変える手段の一歩になりうる。

 

そうすると、どのように稼ぐのか、という問題が出てくる。
これについて、俺は考えなくてはならない。
自給だとか月給で、時間を売りながら稼ぐのであれば、おそらくこれには限界がある。

資本主義において大金を稼ぐ手段というのは決まっていて、金が金を呼ぶ方式、すなわち投資だ。
こっち方面について俺は真面目に考えた事がなかった。
アラサーでも、新しい体験というのはまだまだいくらでもあるものだ。

 

不景気の時代のBruce Springsteenのアルバム。
時代が進んで、聞けば聞くほど、あの時代をよく表している。

 

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